唐突だが、
三島由紀夫、彼のイメージ。
それは、僕の界隈の中では二分する。
まずは、心酔であり、
美しい文体への愛が溢れている。
そして、もう一つは、
自決のイメージから来る過激な人。
前者は、近代文学に明るく無い僕には、
脳内に、寄生するがごとく絡む。
後者は、僕の無知蒙昧もあり受け入れ易かったと思う。
そんな中で、
平野啓一郎氏の大著、
『三島由紀夫論』を手にした。
三島文学に疎い僕は、
この本から何かが掴めるのでは?
また、
三島由紀夫という文学者を、
一気にとはいかないまでも、
理解出来ると考えていた。
しかし、
本書に於ける、
先の大戦への不参加から来るコンプレックス、
天皇制と思想の変遷、
楯の会結成の背景。
数多のキーワードが丹念に書かれており、
平野氏の熱意、筆力に圧倒されるばかりで、
簡単に理解を深めるなど、
烏滸がましいのがよくわかった。
文学離れが進み、ノンフィクションに向き、
読んでも現代文学の僕の読書から、
三島由紀夫という怪物を解きほぐすのは、
困難であった。
しかしながら、
それをこれ以上追い続ける気も無く、
恥ずかしながら本書は、
本年読んだ一冊の中の一つにカウントするに留まるだろう。
そんな、
好奇心と浅はかさしか無い僕ではあるが、
本書から、大きな奔流を受け止めて自らの血肉を燃やすのには相応の時間と熱量が必須だと再認識させられる。
やはり、何かを知り咀嚼し、
解き明かすのに、
簡単な道など無いのだった。
執筆23年。
平野啓一郎という刀匠が打ち出した刃。
僕の甘さを一刀のもとに切り裂いた。
では、また。