郵便局のおじさんは9時40分ごろやってくる

日常を怯えて過ごす人間の雑記

野望についての対話と一考察のようなもの

知人に、何か生きた爪痕を残してみたい。

そう何気なく言った。

 

結論から言うと苛立たせてしまった。

というのも、

彼らは、

お金を貯めて海外の美術館に行き、

それが終わるとまた、

次なる夢を実行する。

 

また、

カンボジアに渡り、料亭のオーナーになった人物もいる。

 

そりゃ、怒られるべ。

そう自分にダメ出ししたい。

 

僕の漠然とした望みを、

行動力ある知人達には言うべきではない。

 

しかし、

少し思うところがある。

 

僕は、皮膚も弱く軟膏や保湿薬、

更に、諸々の飲み薬も服用しなくては生きていけない。

これは、大袈裟な言い方ではない。

 

そのため、物理的にまず行動に制限が生じる。

 

メンタルも病んでいるから、

先述の諸々の飲み薬に含んだが、

そういったライフラインも確保出来なければ、

迂闊に遠征すら出来ないわけだ。

 

だが、そういう事情を鑑みた上でも、

やはり何かに熱中し没入したい。

それを、僕は、

野望と呼んだ。

 

しかしながら、

僕よりずっとずっと苦しみながらも、

野望を成し遂げる方はいらっしゃる。

 

概ねそういったやり取りをして、

「野望と呼ぶな」

こう指摘されて、

確かに納得した自分がいる。

 

モヤモヤとしていた感情は、

未熟だし、形として達成する・しない、

というレベルの事象とは言えない。

 

僕は、

軽々しく、「野望」

そう表現するのを辞めることにした。

 

ちなみに、

某ゲームソフトに、野望を冠する商品があるが全く関係ない話です。

 

そこは、失礼しました。

 

という最後の方で突散らかした文。

裏腹に、

部屋から外へ出られない人物から、

勢いよく世界を闊歩する人物まで、

そのバイタリティの違いに困惑と少しの理解という複雑な思考が脳内で起こる。

 

立ち返っては消える陽炎の如く、

初夏の雨の中で、

揺らめく想いがある。

 

では、また。