例えば、
『超怖い話』や『新耳袋』を愛でる者。
こちらは、怪談ジャンキー?
もし、答えがYESならば、
僕も怪談ジャンキーであろう。
30年余りの間、
読んだり、観たりしている。
以前に述べた通り、
僕はヒトコワ系も相変わらず読み、
納涼に励む。
ただ、
僕は、この分野に於けるゴア描写には、疲れてしまった。
それは、取りも直さず悪意の濃度の低下。
そう勝手に考える。
腐肉や血飛沫の蔓延る世界を、
耽溺したという気持ちは全く無くて、
それは、
自身の内にある悪意の代行者としての、
ヒトコワ系だった。
恐らく、ホラー好きならば、
現在の、アングラ系の実話怪談の趨勢を担う執筆陣の多くをご存知かと思うし、
期待も高いはずだ。
一方で僕はというと、
「ぬるい恐怖はいらない」精神が下がり、
ホラーに刺激ではなく情緒を、
直接的なものより行間の美を、
求める様になりつつある。
いつからか、変化に気づいてしまった。
心霊現象の語りや、
怪談師達の台頭に、
ワクワクしながらも、
何処かハードさを望む自分がおり、
人間の狂気譚を集めていた。
そのうち、胸やけ。
次第にマイルドな余韻を残す怪談に、
魅力を再発見させて頂き、
趣向が少し変わってきたなぁ。
自覚している。
さて、
人間の猟奇的な部分を表す媒体。
それにより、
受け手がどうなるか?
ケミストリーは不明だが、少なくとも僕にとって激しいゴアは、
己の中の悪意を消化するものだった。
それに対して、苦しさを感じる自分は、
暫くソフトな怪談ジャンキーでいよう。
また、自分の中の好奇心と狂気ゲージが溜まってくるまでの間だが。
現在、怪談社推し!
全ての怪談ジャンキーに、
敬意を込めて。
では、また。