郵便局のおじさんは9時40分ごろやってくる

日常を怯えて過ごす人間の雑記

ifに対する畏怖

僕は、臆病な妄想癖人間。

もしも?

ならば?

こういった思考が常にあるので、

よく言えばリスク回避

言ってしまえばビビリ

こうなる訳である。

 

脚立に登って、転倒したら?

走って走って、遅れたら?

待って待って、来なかったら?

包丁を落として、足に刺さったら?

映画館で、途中で尿意に襲われたら?

予約しないで、売り切れたら?

ダンベルを落としたら痛いだろうな。

階段で、ふらつくのは危険だな。

 

こういう、もしもが頭にまとわりつく。

 

あの人に、アレを言ったら。

ここで、座っていたら誰かが。

今、これを飲んでしまうと。

 

行動に制限がかかる考えばかり。

生き苦しい。

とでも形容しようか。

この瞬間も、生き苦しいを、

息苦しいと、言葉遊びにしたら、

何か語弊があるのでは?

なんて畏れている。

 

父からは、物事は段取りが肝要。

準備を周到にと言われた。

しかし、

そんな父は、臨機応変が出来ず、

母は、焦ってミスをするタイプ。

 

僕は、両親の負のハイブリッド型。

なのではないか?

と、やはり、邪推して畏れている。

 

人生は選択の連続とかなんとか、

漫画の台詞にあったが、

選択の数だけ、

不正解が有る気がしてこわい。

 

失敗を避けて立ち上がらない。

それこそ、

不正解を選択する者の失敗なのか?

取り留めない考えが、

胃薬を求める体を作る。

 

ちなみに、僕は発作性偏頭痛とかいう、

原因不明の持病がある。

 

考え過ぎている。

いつか、

北斗の拳の雑魚敵みたいに、

頭が爆発するかもしれないな。

 

また、かもしれないが出たしょ?

これが、僕なのです。

 

予期せぬ事態に、対応出来る人は、

そういう才能が有る。

そして、残念無念だが、

僕には才が無い。

 

黄金聖闘士ばかりではなくて、

青銅聖闘士も沢山。

 

サイヤ人ばかりではなくて、

ヤードラット星人もいる。

 

流川楓や、ミッチーみたいな、

そんな輝きのイケメンばかりでは無く、

僕のような有象無象。

引き立て役は、必ずいるから。

だから、

僕は、立っていられる。

社会通念に、ボコボコにされて、

常識に弾かれ、

健全で正常で善良な市民に、

脅かされながらも、

世界の構成員として自分で自分を認めてあげて何とか生きている。

誰かじゃなくて、

自分だけは味方にしなくちゃと。

 

そんな感じで、

今日も僕は妄想し、ビビリつつ、

ネテロ会長みたいに、

正拳を空に放つ。

 

もしもの為に、今出来ること。

それを大事に。

 

では、また。