はてなブログを始めて2年と少し、
3度目の自死多発時期の8月末。
以後、自裁で綴らせて頂く。
さて、これまで数度、
生きづらさを感じる方々に、
特に虐め被害者の方に向け、
拙い記事を書かせて頂いた。
しかし、
まもなく40歳になろうとする僕では、
現在の若者に届く内容は見込めない。
そのため、
希死念慮を抱く方に幅を広げて、
何か書きたいと思う。
とはいえ、この拙い記事を書くにあたり、
僕自身、フラッシュバックに苛まれ、
また、転職が上手くいかなくなりそうな事態に見舞われ自分のサバイブもやっとだ。
したがって本記事は、
パラドックスを孕んでいる旨、
ご了承願いたい。
まず、僕は今、
奇跡的に生きている。
首吊りからサバイブした話とはまた別である。
その奇跡とは、
ヒューマニズムのチカラ。
漫画から音楽、ありとあらゆるジャンルのアートの数々から受けた生命の讃歌に救われた。
痣を作り、死ねと言われ、
病んでふらふらの心身で生きてきた。
その昏い思考で、沢山の大切な方々に言いたいことを数日間ずっと考えてみた。
その大切な方々は、
このブログにてお世話になって頂いている方、
また、
ビビりでチキンな僕的に、
普段拝読してもコメント出来ずにいる記事を書かれたブロガーの方々も全て含む。
いつも、すみません。
なにより、この記事を読んで下さる瀕死の誰か。
そんな皆さんへ。
僕は、ずっと考えていました。
みんな幸せそうだな。
でも、知りました。
TVなどに出ているスターの様な輝き、
それは稀。
リア充、格差、貧困、多様性などなど、
価値観は、滅茶苦茶。
この世界は、
まさに砂上の楼閣だと。
僕は、所謂ロスジェネ世代ではなく、
また、ゆとり世代でもない世代。
そこそこに、体罰などは受けましたが、
時代的に自然でした。
SNSの確立よりは前で、
10代では夢がありました。
知人友人も須く、希望を持っていた印象でした。
それから年月を経て、
キラキラネームのあいつは、無難に就職し、
陰湿だったあいつは、医師になっています。
自分はというと、
底辺でもがいている。
そんな惨めさとの共存の日々。
確かに、明日、死ぬかもしれない。
死にたくなる可能性は高い。
ただ、今夜は乗り越える。
宮本輝さんの『五千回の生死』
あれみたいに、
死にたい、生きるのスパイラルを生きています。
少なくとも今日死なない僕から、
待ちきれず今日死のうという方へ。
僕は、アイアンマンでもないので、
貴方の元に飛んでいき、
力を貸すことは出来ない。
また、
才能もないので、
貴方の脳髄を刺激するアートも作れない。
しかし、
貴方の人生には価値がある。
僕は、貴方の様な方々の存在を頭に浮かべ、
なんとか生きてこれているのだから、
時空も地理も吹っ飛ばし、
シンパシーで繋がっている。
同胞よ。
もしかしたら、
僕らまだ、終わってないんじゃないか?
何かやり残したことは?
無い?
その前に話そう!
え?やりたい事があっただと?
教えてくれないか?
少なくとも、
僕は、まだやり残した事がある。
何かは秘密。
知らなくてイイ、
各々のやりたい事が一番。
なんだかんだほざいたが、
それでも、死ぬ方はいるだろう。
僕は、それがなまら淋しく悲しい。
でも、止める事が良いのか悪いのか?
それも、分からない。
もし、今晩を乗り越えられたら、
僕は、貴方とハイタッチしたいです。
愛を込めて。
では、また。