郵便局のおじさんは9時40分ごろやってくる

日常を怯えて過ごす人間の雑記

2022年の終わりにニードルが想う事

今まで、

僕は、考えていた。

年々体感速度が上がる時の経過。

こうやって瞬殺の1年を何十回か繰り返して、

人生が終わる。

人間とは、なんと儚い存在だろう。

 

いつかみんな 

大人になってゆく

夢から醒めた

迷子のように

 

確か、バックホーンはこう歌っていた。

僕は、年は重ねたが大人だろうか。

ただの馬鹿野郎のままだ。

そうに違いない。

 

実存は本質に先立つ。

サルトル

我々は、意味も理由もなくこの世界に投棄されるが如く生まれおちる。

その生命に意味づけるのは、

その後のようだが、

僕には見出せなかった。

 

何か、吐露出来る場が必要だと思っていたが、

SNSに対しては、

抵抗があり、勇気も無い。

毎日毎日、何冊もインプットしても、

アウトプット出来ない。

鬱屈した日々。

 

だが、今年の7月。

今でも理由は分からないが、

はてなブログからの引力が、

SNSの斥力を上回る。

その7月のある日から、

僕は、雑記を始めた。

 

PCは使わずに、iPhoneで。

画像無し、

装飾無し、

広告無し、

謎の3無主義を、つらぬいて。

 

実際、はてなブログは、

温かい世界だった。

もっとドチャクソに叩かれる場だと思っていたが、全然違うではないか。

 

大切な、同志。

読者の方々。

知らない事ばかりの素敵な記事。

そこには、

新世界が、広がっていた。

 

僕は、自裁をした経験がある。

闇属性という厨二病的な表現では、

表せないほど、

陰を背負っている。

 

そんな、患者が何かを書いて、

表現していいのか?

僕の話なんかで、

誰かを傷つけてはしまわないだろうか?

 

始めた頃も、そして今でも、

頭の中に、懸念はある。

 

レスポンスがあると、

安心するし、明るくなれる。

感謝しかない。

半年間、投稿を続けられたのは、

本当に皆さんの善意のおかげであり、

それを忘れた時、

僕はクズに戻るだろう。

 

僕の大好きな漫画、

からくりサーカス藤田和日郎

この作品の中で、

印象的なセリフがある。

それは、

他者に必要とされることを讃える、

讃歌の言葉。

 

そして、僕にとって魔法の言葉。

 

「ピアノを弾いてね」

 

いきなり、こんな事を書いて、

意味が分からないかもしれないが、

僕の拙い伝え方を許して欲しい。

 

ピアニストが、子供たちに、

求められる様に、

僕にとって、

2022年から始めたはてなブログは、

大切な皆さんからの、

 

「ピアノを弾いてね」

 

この感覚に近い。

 

最後に、皆さんが、

自分らしく、笑顔で、面白おかしく歩んで行ける2023年を願っております。

 

2022年、誠に有難う御座います。

 

では、必ずまた★