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日常を怯えて過ごす人間の雑記

苦悩と悔恨と北斗の拳

北斗の拳40周年ということで、

直撃世代ではないが、

ファンとして電子版を大人買い

 

入浴中に読んでいた紙媒体は、

前半の巻が抜け落ちていたため、

1巻から読むのは久々で胸躍る。

 

しかし、3巻目。

読むのがつらい。

 

核により荒廃した世界での、

無垢な生命に対する殺戮シーンに耐えられない。

 

子供の頃から、何度も読んだはずなのに、

何故ここまで苦しいのだろうか。

 

先日もNYしながらジュウザを眺めたのに。

情緒不安定かな?

なんて考えたが、結論。

人生の年輪と、社会だ。

オーバラップ。

 

知人や、親族の死。

世界で今尚続く戦火の惨状。

 

自身が傷つけてしまったかも知れない無数の者。

悲しい出来事。

これらが、溢れ出して胸が詰まる。

 

北斗百裂拳!

と言ったようなフレーズに燃えた時代、

そして、生きづらく不穏な現在。

 

漫画ひとつにしても、

暗い影を落とす。

 

だが、これは悪いことばかりではない。

また、この感情を大切にしたい。

そう、僕は思う。

 

ケンシロウの怒りが、

今まさにリアルさを増している。

 

終戦記念日が近づき、

先の大戦への悲しみや痛み、

何より繰り返してはいけない惨事。

それらを毎年強く考えることにしているが、

北斗の拳』から、

それを呼び起こされたのは初めてだった。

 

世紀末のアクション漫画、

週刊少年ジャンプの黄金期。

それを支えた作品のパワーは伊達ではない。

 

今も、苦しくて、

ただ、苦しくて、

胸がひどく痛む。

 

僕は、まだまだ弱いし脆い。

そして、同時に、

多くの生命の循環や調和に生かされている。

 

楽しいことに、嬉しいこと。

なかなか無い。

悲しいことに、辛いこと。

数えたら、

枚挙にいとまがない。

 

外は土砂降り。

災害に遭われた方々は、居ないだろうか?

安否は、どうだ?

僕に出来ることは?

 

焦燥感に不安感に、無力感。

 

僕は暫く、この深淵なる絶望に浸るだろう。

その墓標を俯瞰する様な光景から初めて、

平和を願う心がまた少しだけ高まる。

 

ケンシロウには及ばないが、

悲しみを、チカラに変えて、

罪なき方々の一助になりたい。

 

低すぎるリテラシーだ。

恥ずかしながら、脈絡の無い文でしか、

この酷い痛みは形容出来ない。

 

核戦争も、殺戮も、末法の世ではリアルだ。

そんなズタズタの世界で、

雷鳴の響く、

雨の地方都市を見つめて、

涙を流している情けない自分がいる。

無力な自分がいる。

 

僕は、何か、優しい事がしたい。

自己満足。

違いない。

 

どうか、恒久的平和を。

 

肝心な時に、

稚拙な表現しか発せられない、

余りにも頼りない自分を呪いながら。

 

では、また。