この世界に生きる上で、
イメージするという事が、極めて重要だと考えている。
例えば、善悪ならば、
あんな事をしたら、悲惨な結果になる。
こうしたら、あの人は救われるだろう。
このロジックが歪んだ形の犯罪もあるが、
モラルという概念には、
人間の善意が必須ではないか。
何も、前世の悪因悪果とかカルマとか、
スピリチュアルな話をしたいわけでは無い。
さて、イメージの話の角度を変えてみる。
妄想力とでもいうべきか、
取り敢えず、そうする。
ポルノ動画や、過激な創作物に浸かり、
欲望や野生の暴走による事件や、
不妊の原因に至る病理が溢れている。
これも、ひとつの妄想力というイメージの衰退の結果に感じてしまう。
この瞬間も、
理性の箍が外れたケモノが、
蔓延っているだろう。
カントの著書に、
『永遠平和のために』
こちらがあるが、
カントの人種への差別などの事情とは別の、
良書。
現代では、過去の歴史を蔑ろにして、
国家のトップには、
イマジネーションという視野が枯渇している様に思えてならない。
軽挙妄動の果てに、
那由多の血が流れてきたし、
これからもそうなる「かもしれない」
この予想図を広げなければ、
恒久的な平和や安定などない。
そう遠くない日に、
終戦の日があるが、
戦没者慰霊という日であり、
2度と繰り返さないよう襟を正す日だ。
戦犯問題に、昭和天皇の戦争責任について、
センシティブな議論は、
続く。
しかしながら、
軍拡やら徴兵の実施などの一歩手前で、
ぐらついている現状は、
みっともないとは思えず、
寧ろ、
この何やかにやで踏み止まっている状況だけ俯瞰するならば、
まだギリギリ理性が有るのかもしれない。
そんな、一筋の光明というか、
希望的観測を、僕は抱く。
何故か?
それは、侵略や武力行使に積極的で、
情報操作もお手のものな某国々の、
愚かさを感じるから。
という出過ぎた意見は、
もうこれくらいにして、
明日の夕食の事を考えます。
ハイ!
すき焼きには、春菊だな。
では、また。