郵便局のおじさんは9時40分ごろやってくる

日常を怯えて過ごす人間の雑記

森羅万象とイマジネーション

この世界に生きる上で、

イメージするという事が、極めて重要だと考えている。

 

例えば、善悪ならば、

 

あんな事をしたら、悲惨な結果になる。

こうしたら、あの人は救われるだろう。

 

このロジックが歪んだ形の犯罪もあるが、

モラルという概念には、

人間の善意が必須ではないか。

 

何も、前世の悪因悪果とかカルマとか、

スピリチュアルな話をしたいわけでは無い。

 

さて、イメージの話の角度を変えてみる。

妄想力とでもいうべきか、

取り敢えず、そうする。

 

ポルノ動画や、過激な創作物に浸かり、

欲望や野生の暴走による事件や、

不妊の原因に至る病理が溢れている。

これも、ひとつの妄想力というイメージの衰退の結果に感じてしまう。

 

SNSで、ローティーンの値踏みをしている輩。

この瞬間も、

理性の箍が外れたケモノが、

蔓延っているだろう。

 

カントの著書に、

『永遠平和のために』

こちらがあるが、

カントの人種への差別などの事情とは別の、

良書。

 

現代では、過去の歴史を蔑ろにして、

国家のトップには、

イマジネーションという視野が枯渇している様に思えてならない。

 

軽挙妄動の果てに、

那由多の血が流れてきたし、

これからもそうなる「かもしれない」

この予想図を広げなければ、

恒久的な平和や安定などない。

 

そう遠くない日に、

終戦の日があるが、

戦没者慰霊という日であり、

2度と繰り返さないよう襟を正す日だ。

 

改憲派護憲派

戦犯問題に、昭和天皇の戦争責任について、

センシティブな議論は、

続く。

 

しかしながら、

軍拡やら徴兵の実施などの一歩手前で、

ぐらついている現状は、

みっともないとは思えず、

寧ろ、

この何やかにやで踏み止まっている状況だけ俯瞰するならば、

まだギリギリ理性が有るのかもしれない。

そんな、一筋の光明というか、

希望的観測を、僕は抱く。

 

何故か?

それは、侵略や武力行使に積極的で、

情報操作もお手のものな某国々の、

愚かさを感じるから。

 

という出過ぎた意見は、

もうこれくらいにして、

明日の夕食の事を考えます。

 

ハイ!

すき焼きには、春菊だな。

 

では、また。