郵便局のおじさんは9時40分ごろやってくる

日常を怯えて過ごす人間の雑記

怪談の隆盛

昨今の怪談ブームの再来は凄まじく、

オカルト好きだと嘯きながら、

マークしきれずにいる。

1990年、新耳袋

1991年、超怖い話

これらに、

稲川淳二の怪談を加えて、

三大実話怪談。

 

憚りながら僕は、草創期の名作はほぼコンプリートしている。

 

しかし、

昨今、書店にもネットにも、

怪談は溢れて、玉石混淆ながらも、

活気づいている。

 

カテゴライズも多様化し、

ヒトコワや、物件ホラーなどもある。

僕も、先日、

怪談社の、『忌み地』を読んだ。

オモロ〜

 

ただ、一方で懸念もある。

怪談とは、

夜になり、集まっていた人々が、

何となく、ゾワゾワしだした際に、

誰からともなく始まる恐怖譚。

 

これが、僕にとっての魅力だった。

 

しかし、

今や怪談はミステリアスでも、

禁忌めいたものでもなく、

楽しいエンタメコンテンツになったと言えるだろう。

 

怪談師を名乗る人物が数多出現し、

怪談の話し方の本もある。

 

そのうち、

お料理教室や、英会話教室

そんな感じで、

簡単!怪談講座。

なんてものが、○ーきゃんとかに載るのではないかとリアルに思う。

 

怪談が開かれたのは、

ある一面からすれば、良いことかもしれない。

しかし、

また別の側面から見た時に、

何か寂しさを感じる僕がいる。

 

禁断の領域、異界、

そういったヴェールに包まれていたのが、

ライトアップされて、

身近になっていく。

 

マニアの話に耳を傾けに行かなくても、

YouTubeで、事足りる。

そんな風潮は、何も怪談だけの話ではない。

 

歴史、思想、性、

などなど、事件性を帯びる事もある。

SNSが根付いた現代、

コンピューターが、

人間を超えたりする時代。

 

一層希薄になる諸所の繋がりを痛感。

 

僕が個人的に読み続けている、

高橋和巳も、

今や安保闘争や、学生運動の時期を生きた、

「かつて」の人々のバイブルになっているのではなかろうか。

僕もその当時には生まれていないため、

ペダンチックには語れないが。

 

脱線し始めたが、

クラシックな様式美にこだわれとは言わないし、型にはまる必要なんて無い。

と、僕は思う。

しかし、

謎めいた部分や、いい意味で曖昧な事象こそ怪談のひとつの強みであり、

それらを詳しく知っている達人の存在も、

風化されてはいけないと感じる。

 

「怖くて、トイレに行けないよ」

怪談を聴いたり読んだりした方が、

こんな風に恐る時代が終わらないことを、

祈っている。

 

では、また。