郵便局のおじさんは9時40分ごろやってくる

日常を怯えて過ごす人間の雑記

アラフォーによる限界からの幸福論

昨日、

ブログ開設1年という記事を書き、

連続投稿を廃すると言っておきながら、

早速、考えたいことが生まれてしまった。

 

というのも、

昨夜の20時頃に、

友人のスタイリストに髪をカットしてもらい、

互いに30代の男ということで談話した件。

 

美容室を単独で、経営しつつ、

事情により離れて暮らしているという、

お子さんの話題になる。

 

その少年は現在、小学2年生。

やや、発達に遅れがあるらしいが、

会ったことはなく、

間接的に絵本、児童書を渡した程度。

 

僕は、人の親になる度量も無いので、

スタイリストの息子さんには、

仲間としての大人でいたいと思っている。

 

自分の幼少期を鑑みるに、

僕は文字に生かされて来たなぁ。

一方で、

件の少年は、生き物に興味がある。

また、インドア寄りらしい。

 

正直なところ、僕からアプローチ出来る余地はあまり無いが、

ひとつふたつ、言えるならば。

 

まず、自分が世界の何に惹かれて、

また、それをどう見ているか?

 

この2点は、幼少期から大切だと思うし、

大人になっても軸になってくる。

そう思う。

 

さて、カットも終わり、

スタイリストくんとラーメン屋に行き、

僕は味噌、彼は醤油とライス。

 

どちらともなく、

人生についての話になる。

彼は、子供、時々、株取引。

僕は、沈黙。

 

この年代の我々は、

なかなか生き甲斐を見つけられない。

人脈も広がりにくくなり、

何かイベントが自動で入ってくる機会も稀。

 

そんな時、先述の、

惹かれること、

その捉え方が頭をよぎる。

 

周りは、

車を変えたとか、

えーっと、

それが多いし、それくらいしか僕は聴いていないから何とも言えないが、

楽しみが分からなくなっている。

 

社会の共同体としての役割。

それは、若かりし頃のそれとは異なる。

僕も、何が正解かなんて分からない。

 

でもね、

考え方の魔力ってありませんか?

僕は、あると信じているんですよ。

 

というのも、

華やかな世界で裕福に暮らしている方の、

尺度。

対する、底辺でもがく僕の様な人間の、

尺度。

 

これは、ややセンシティブな論調になるかもしれないけれど、

2つの尺度を並べなきゃイイ。

そう思うのです。

 

そして、

僕は摩天楼の高層階で暮らしているわけじゃないし、派手な遊び方も知らない。

(それが幸福の基準とかでは無いし、

高層階に住み、遊ぶのが1番という事でもありません。)

 

だけど、

書店に数時間滞在して、

書籍をGETしたり、

くだらない会話をLINEで延々としたり、

時々、小旅行に出るのが、

なまら楽しい。

 

楽しさを履き違えるルサンチマン野郎!

そう言われると弱いけれど、

どうしたって自分の限界の様なモノが、

分かってしまうアラフォー。

 

皆さん、

楽しんでますか?

そして、

その世界はどんな景色でしょうか?

 

では、また。