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日常を怯えて過ごす人間の雑記

他者必要論/『母という呪縛 娘という牢獄』齊藤彩

2018年3月、滋賀県守山市野洲川

河川敷にて、バラバラ遺体が発見された。

そして、被害者は、

高崎妙子 58歳

殺害したのは、

娘である高崎あかり 31歳

 

本書冒頭から引用。

(あかりが起こしてしまった事件の罪を今後、生涯かけて償うと同時に父、母、娘、息子、家族との関係に悩むすべての人に、この本を届けたいと思っている)

 

さて、あかりの母である妙子は、

教育ママの範疇を大きく外れて、

モンスターになっていた。

 

幼少期の娘にお湯をかけて虐待、

その後も娘を数十年にも渡り管理下に置き、

心身共に、バイアス、ダメージを与え続ける。

 

そして、この母と娘は、

ともに、モンスターになっていく。

 

父親は、どうだったか?

父親は、

マイペースで比較的ゆったりとした人柄で、

あかりにとって、

さほど脅威の存在ではなかった。

また、

犯行後の娘を、

「家族だから」とフォローする。

 

本書を通して感じるのは、

この母娘は絶対的に外界との繋がりが、

足りていないということだ。

 

しかし、

足りている世界

これも千差万別。

例えば、祖父と母との繋がりだけで、

何の不自由も感じずに成功している方も、

知っている。

 

母は、娘をリゾート、旅行に連れて行ったり、

LINEで密に関係していたが、

やはり家族とはいえ他者と他者である。

 

国家、都市、村、こういったセクションの内容も突き詰めて行けば、

ひとりひとりの〈個〉の群れではなかろうか?

例え親子であろうと、

不可侵の領域を守って行かなければ、

歪みは現れる。

本書のケースが殊更インパクトを孕むだけで、

虐待、インセスト等は、

今も起こり続けている。

 

人と人は、分かり合えない。

面も必ずある。

という不文律を僕は持っている。

 

というのも、

僕もわりと荒れた家庭で育ち、

父に暴力を振るった夢を見た経験がある。

だが、そこで実行しなかったのは、

皮肉にも、

僕が分かり合えないと先述した他者のおかげに他ならない。

他者同士は分かり合えないとはいえ、

共同体の中で人々と関わることは多数の人間にとって必要不可欠であり、

そこからの外的刺激の作用は大きい。

 

友人Aが、留学した。

知人Bが、勘当された。

 

大きく隔たる問題が外から大量に入ってくる。

それを見聞きして、

自分の中の爆発しそうな感情を昇華し、

平静を保つこともある様に思える。

そういった意味では、

理性の箍とは、

他でもない世間であり、

さまざまな境遇に身を置く

他者

だと思う。

 

(医学部9浪の娘ははなぜ母を刺殺したのか)

この帯のロジックは、

正直、事態に関係ないとは言えないが、

医学部

9浪

刺殺

これらのインパクトに使用されたに過ぎないと邪推している。

 

最後に、

今、この瞬間もモンスター予備軍が無数に存在していることを危惧している。

 

では、また。