郵便局のおじさんは9時40分ごろやってくる

日常を怯えて過ごす人間の雑記

五ノ井里奈さんの報道をうけて

性被害のニュースが、

またひとつ。

陸上自衛隊員の五ノ井里奈さんの件。

 

それに際して、

僕は、まだ手元にある未読書、

『性暴力をめぐる語りは何をもたらすのか』

この書籍を読んだ。

 

著者の前之園和喜は、

加害者の他者化のひとつとして、

「異常者」としての加害者へのラベリングを挙げている。

これにより、

一部の異常な人間によるものとして、

自分たちは無関係だという視座を生み出し、

過去の言動や、将来の言動から、

性暴力を切り離す。

 

という旨の話をしていた。

 

これは、僕自身も血が凍る。

 

そして、

前之園氏は、

この研究の発端として、

 

「男性」を公言する人びとが、

メディアに登場する性暴力加害者を、

威勢のよい言葉で批判することで、

性暴力と自分たちを完全に切り離していることに疑問をもって、

 

こう述べていた。

 

僕が性暴力という問題に対して言及する中で、

こうした自己の正当化が無かったと、

言い切れるだろうか?

答えはNOである。

 

自身にも、セクハラめいた発言が、

あった様に思うからこそ、

この問題に目を向けているのだと思う。

 

これからも、

自己を除いて語るのではなく、

反省や懸念、予期を忘れずに考えていく。

それを抜きには、

性暴力は語れないと自らに言い聞かせる。

 

では、また。