郵便局のおじさんは9時40分ごろやってくる

日常を怯えて過ごす人間の雑記

いじめられている方へ

今日で8月も終わり。

明日9月1日は、児童の自裁が特に多い日と言われているが、実際には既に新学期が始まっている所も多いため、

僕は、以前の記事で、

危惧している事について書いたし、

自ら命を絶つ行為を否定出来ないが、

悲しいし、悔しいとも書いた。

ダメ押しをさせていただきたい。

 

さて最初に、

正義なき力は暴力であり、力無き正義は無力。

この言葉に反論したい。

 

力とは何か?

腕力か?

地位か?

結論からいうと、

いずれにせよ、

力が無い者にも正義はあると思う。

 

クラスで自分をいじめる人間を、

抹殺することは容易い。

例えば、

えんぴつでも、

カッターでも。

しかし、貴方はそれをしない。

何故だろう?

僕の勝手な解釈では、

戸惑うし、恐れるし、まずいという、

当然の感情だ。

 

一方で、貴方をいじめる人間は、

何故やめないのか?

スクールカーストの関係か?

イケメンだから許されるのか?

美人でモテるからか?

強いからか?

面白いキャラだからか?

 

そいつらは言うだろう。

ウケるとか、イタイ奴だとか。

その場のノリで、

自分が優れた人間であると錯覚している。

スベっている事に、

気づいていない。

 

そして、そういう人間に限って、

数に頼る。

個人では、ギャグのひとつも披露出来ないチキンだから。

「お前、スベってるな」

そう言われて、

「じゃあ、お前がなんか面白い一発ギャグでもやってみろよ」

と切り返されても、

無理なのだ。

ホラー映画を音声無しで観る様に、

周りの圧力を取り払われたら、

いじめの加害者は、

ただのちっぽけな凡人。

 

そんな人間を前に、

傷付けたい衝動を抑制しているもの。

それは、ひとつの正義であり、

他者の痛みが分かる証拠で、

無力なんかじゃないのでは?

 

耐え忍んでいる被害者の数だけ、

能天気な加害者の生命が維持されているのではないか?

 

僕は、夏休みの始めあたりから、

このブログにて、

この問題についての記事を書いた。

自身のいじめ体験。

その続きがある。

僕はいじめられて、

空手等によって鍛えた。

そして、

加害者の奴らと再会した。

ある者は、

みすぼらしい身なりで、

ヘラヘラと対応してきた。

またある者は、

反社会勢力の末端になり、

偽ブランドのバックがさばけないと、

ぼやいていた。

 

復讐心など無く、

憐れな奴らだと思った。

 

この記事は、

何かの役に立つのか?

自問するも、

答えは分からない。

ただ、

苦しみ悩み、

もがいている貴方達の、

一助になれば、

幸いである。

 

では、また。