アメリカの哲学者
トマス・ネーゲル
主著
『コウモリであるとはどのようなことか』
「私は、コウモリにとってコウモリであることがどのようなことなのか、を知りたいのである。」
ここから、論理は展開されていくのだが、
僕は、
その中に必ずしも本筋ではない?
いや、
本筋でない点などないのかもしれないが、
兎に角、
ロマンを掻き立てられた文がある。
「主観的な領域に関する私の実在論は、そのあらゆる形態において、人間のもっている概念のおよびうる範囲を超えた事実というものが存在する、という信念を含意している。」
「コウモリであることはどのようにあることなのかという問いの検討によって、われわれは、
人間の言語で表現可能な命題によってはその本質がとらえられないような事実が存在する、という結論に達したかに見える。
そして、ある種の事実に関しては、
それを記述し理解することはできないにもかかわらず、それが実在することは認めざるをえない、ということがありうるのである。」
トマス・ネーゲル様
オラ、ワクワクすっぞ!
では、また。