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日常を怯えて過ごす人間の雑記

影山ヒロノブの佇まいと金言

昨夜、歌番組に影山ヒロノブさん!

ドラゴンボールのあの名曲を熱唱。

影山さんは、

僕にとって特別な方である。

生まれて初めて買ったCDは、

影山さんの、

鬼神童子ZENKI

それから今日まで大好きだ。

 

影山さんは苦労人だと思う。

しかし、影山さんならば、

皆んな大変やねん。

なんて仰るだろうか。

 

10代で、LAZY

デビュー。

そして、解散して周りに、

「アイツは終わった」

そう言われながら、

努力を重ねて、ビルの外壁工事で、

ハードワークをしながら、

弾丸ツアーを敢行したり、

アニソンに転向するバイタリティ。

自伝で読んだ。

 

今やアニソン界のプリンス。

長老。

様々に呼ばれるレジェンド。

 

いつか、JAM projectのLIVEで語っていたが、

影山さんが、

16歳で上京した時、

30代の大人は、何でも出来て悩むこともなく生きていると感じた、

そして、その30代を超えて、

自分は悩み続けていること、

そして、これからもそれを続けていくこと、

誰かの笑顔のために。

という内容。

 

 

素敵な方だなぁと思う。

また、

別の番組では、

リーダーが希望を捨てなければ、

7割がたはうまく行く。

そういった旨の話をしておられた。

1人の歌手としては勿論、

チームのリーダーとしても、

影山ヒロノブは、大きい。

 

個人的に、

影山さんは、今まで出会った優しい方々と同じオーラを纏っている様に感じる。

ドラゴンボール世代でなかったとしても、

僕はファンだったと確信している。

 

牙狼ワンパンマンを始め、

最近でもバリバリ。

先日他界された、

水木一郎アニキとのコラボ曲、

『STORM』

ゲッターロボのテーマとして作られた、

この曲もリブートされて響いた。

 

乱文で、

さらに冗長な駄文になってしまった。

僕の中で、

影山ヒロノブとは、

青春であり、

夢と同義の存在なのだ。

 

ちなみに、

影山さんがドラゴンボールの歌を担当しなくなったのは、

対立などがあったわけではなく、

日本コロムビアから、

ランティスへ、

レコード会社移籍という背景がある。

しかし、

いつか、再びドラゴンボールに纏わる新曲なんかが出てくれたら、

飛び上がり震えるだろうなぁ。

 

小学生くらいの時分、

なけなしの貯金で、

影山ヒロノブのベストアルバム集を買って、

聴き耽ったあの頃。

 

どんな季節だったかは忘却したが、

誰よりも熱かったと、

熱を帯びていたと思っている。

 

では、また。