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日常を怯えて過ごす人間の雑記

己が身を焼いた僧侶

1963年8月21日

南ベトナムのゴ・ジン・ジエム政権が、

仏教徒反政府運動に対処するために戒厳令を布告、武装警官と軍隊を動員してサイゴン最大のサーロイ寺をはじめとする、

各地の寺院を襲撃して多数の僧侶を逮捕した。

また、フエのツーダム寺なども襲撃され、

銃撃や刺殺により、

多くの僧侶の命が失われた。

遡ること5月7日、

ゴ・ジン・ジエム独裁政権カトリック偏重・仏教抑圧に対する不満が爆発したのは、

仏教の最大拠点の古都フエで、

釈迦生誕祭の禁止に抗議するデモ隊に対して軍隊が発砲し、死者が出たことに起因する。

そして、同年6月11日、

サイゴンの中心部で、

73歳の僧侶クアン・ドックが政府への抗議を訴え、ガソリンをかぶり炎の中で命を絶った。

これを契機に、仏教徒反政府運動は激しさを増し、身を焼く者が続出。

抗議デモ、ストライキが各地で日常化した。

クアン・ドック僧侶は、

絶命するまで、炎の中で蓮華座を崩さなかったという。

それでも、政府は弾圧を止めることはなかった。

11月1日、

ドン・バン・ミンら軍部によるクーデターが勃発。

南ベトナム海兵隊、陸軍によるクーデター部隊の勝利により、

9年にわたるゴ・ジン・ジエムによる独裁体制が崩れた。

なお、このクーデターは、

後にベトナム戦争へと繋がっていく。

 

この老僧クアン・ドックの衝撃的な写真を見たのは、幼少期であるが、

昨今の混迷をきわめる報道を知るたびに、

頭の中をよぎる。

人間の尊厳とは何なのか?

生命の始まりや、

その生き様に、

そして、死に。

強い戸惑いが生じるのだ。

自らの身を焼き尽くしながら、

圧政に向かった僧侶の覚悟、信仰、

いや、そんな表現では説明できない、

強い何か。

今も、

内戦地では、地獄の様な状況が続き、

世界はパンデミックに見舞われている。

そんな中で、

例えば激動の20世紀などに目を向ける、

これにも価値は有ると思う。

時代は変われども、

人々の業はいつも存在していると、

再認識させられる。

終戦の日も、

次の月が来る頃には、記憶から薄れる方々も少なくないのではないか。

僕自身、時々、意識的に資料を漁る。

その行為で、先人の悲しみや痛みが消えるわけでは無いのだが。

不安定な情勢下にある世界、

そこから目を逸らさずに生きたいと勝手に考え、

今日も、記録等に目を通す。

自己満足でも構わない。

僅かでもいい。

危機感が肝要ではなかろうか?

 

では、また。