僕の机の引き出しの中に、
手紙の束がある。
これは、ある教授との文通によるものだ。
万年筆で書かれたであろう達筆。
その流麗な文は軽やかであり、
インテリジェンスを醸し出している。
そして今、
僕は不器用な指でスマホをタップし、
この文の様なものを書いている。
不意に、生きづらさを感じる方への、
貴戸理恵による、
「書くこと」のススメを思い出した。
その中で貴戸さんは、
書くことの三角形
という3つのテーゼを挙げられていた。
①書く人
権限を持ち、責任を負うという主体になる。
②書かれる対象
「書く人」である自分の外側に異なる意見や感情を持つ別の主体としての存在である。
③宛先
「書くこと」が「書く人」の立場や考えを表現する行為であるがゆえに、自分という存在の外側、他者への配慮が肝要では?
以上の3つを挙げた貴戸さんは、
最後に、
「1人の書き手としてよいものを書こう」と
文章に取り組み始めるとき、ある時期には〈傷〉の源泉だったかもしれない(社会)というものが、少し柔らかな感触で手に触れる瞬間が訪れるかもしれない。
こう綴っておられた。
僕も、これからも拙いなりに意識を持って、
記事を投稿したい。
では、また。