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日常を怯えて過ごす人間の雑記

マーシャル・アーツ

僕が生まれた時、

もうこの世にブルース・リーは居なかった。

武術に興味があった訳ではないが、

6歳で空手の門を叩いた。

そこで、段位を取得して、

次の道場で、鍛錬した年数を合わせると、

約20年。

大山倍達の伝説、K-1、PRIDE、

よりも、

カンフー映画に夢中になった。

そして、

そういった映画では、

しばしば西洋列強や、日本軍が悪役に据えられて、英雄に倒されるという流れがある。

しかし、

僕は反日だからとか、

カンフーに実用性が無いとか、

そういった論調は些末な事だと感じる。

武術とは、

マーシャル・アーツと呼ばれる、

アートなのだ。

ブルース・リーの肉体美、

ジャッキーのコミカルな闘い方、

ジェット・リー少林拳の迫力、

最後の実力派と謳われる、

ドニー・イェンの多彩さなどなど、

いずれも芸術。

 

その一方で、

かつての空手の大会でのエピソードを、

思い出す。

当時、僕はとあるフルコンタクトの大会で、

優勝筆頭の人物と対峙した。

その際、

師範は、

「絶対に当てるな」

と僕らに警告した。

そして組手が開始、

相手の間合いに入ろうとするも、

なかなか難しく苦戦し、

互いに攻撃が出来ない。

そこで、僕は刻み突きという飛び込んでいく攻めで、間合いを詰めた、

勿論、寸止めで。

しかし、

そこで、相手に顔面を突かれ、

試合は敗北。

結果的に、左眼の眼底を骨折した。

その時は、

なんて可笑しな話だと反発心があった。

師範の考えも理解できなかった。

 

それから一線を退き、

長い年数が経ち、

改めてあの頃を思い出す。

そして、

少しずつ自身の未熟さに向き合う様になった。

師範の教えてくれた空手とは、

鏡であったのではないか、と。

いかに理不尽な場面に遭っても、

自身の流儀を蔑ろにせず、

謙虚にあるのが真の武術であると。

最大の敵は、向かってくる他者ではなく、

正義は我にあり!

という過信に酔う自分の傲慢さ。

そう考える様になった。

 

ただ、

カンフー映画の中で民衆の英雄になる、

武術家の描写を否定するつもりは、

やはり無いのである。

それはそれ。

エンターテイメントとして、

ワイヤーを使おうが、

大袈裟な描写があろうが、

僕は、面白いと思うし、

俳優さんにリスペクトを感じる。

 

脱線したが、

空手を離脱して10年ほど経つ僕は、

国際大会に出場経験もあり、

鋼の肉体を誇り、

温和な人柄であった師範の偉大さを、

改めて噛み締めている。

 

では、また。