立花隆を最初に意識したのは、
しずくのお父さんの声だと思う。
上手くはないが、なんだか優しい雰囲気。
そして、後に分かる。
その方こそ、知の巨人であると。
立花隆は、
田中角栄の金脈問題を探りあてた。
教科書で、ロッキード事件を知った若者もいるであろう。
そして、博覧強記!
ネコビルという仕事場には、
数十万冊の蔵書があり、
生涯を知への探求に注いだ巨人。
そんな立花隆が亡くなって、
1年が過ぎた。
あの方は、あらゆるジャンルに興味を示していたから、僕は全てを読んできた訳ではない。
ただ言えるのは、
立花さんの始まりも最後も。
平和への希求であるということ。
実際、立花さんは学生時代に今で言うクラウドファンディング的な形で資金を集めて、
海外の非核化のシンポジウムに参加している。
立花さん自身、
長崎で被爆体験をしている。
ところが、
皆の非核への無関心さに幻滅して、
長らくその場から離れ、
科学や神秘体験、脳死や政治などに向かう。
そんな立花隆の涙が、
僕は忘れられない。
先の大戦で、シベリア抑留を体験した画家、
香月泰男の本である『私のシベリヤ』
この本を持っているが、
後にTVのドキュメンタリーで、
香月泰男の足跡を辿る中、
立花さんは、香月が体験した壮絶な状況を思い涙を流していた。
これを観た時、
立花隆は、至高のジャーナリストだと感じた。
僕は、やはり立花さんの柔らかい喋り方を聞くと心地いい。
そして、その内容は鋭利。
立花さんは、先の大戦の実体験者が、
リアルに絶滅する時代が来ていることを危惧しており、晩年には長崎で特別講義を開催したりしていた。
TVで、ドミートリィさんという旧友が、
市民運動で国を動かして、
非核化を成功させたことに、
感動していて、僕もその話に感動した。
憲法や体制に関する記述は、
別の記事で書くつもりだが、
立花さんは、民衆が立ち上がって行動を起こせば体制を変えられるという奇跡が、
夢物語ではないと改めて実感されているようだった。
だから、僕は、どうせ変わらないからと投票に行かない方には悲しい印象を抱く。
自分は、投票にも諦めを抱きたく無い。
立花隆。
あなたを、そして戦争を、
決して忘れません。
では、また。